3.11を迎えて。10年経ったのかと、自分の10年も振り返りながら。

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10年前の3月11日。娘はもうすぐ2歳になるところで、息子はお腹にいた。

マンション住まいであったため、揺れの怖さに耐えられず、階段を使って外に飛び出したのを覚えている。

大規模マンションであったため、外には凄い人。

一旦ぞろぞろと近くの学校に向かい、近辺では被災も特になかったけど、後にその体育館が避難所となり、一晩宿泊した人々もいた。

かなり揺れたし、多くの人と一緒にいたいという気持ちもあったんじゃないかな。

我が家は自宅に戻って過ごしたけど、テレビでは繰り返し被災時の映像が流れ、バラエティーなどテレビ番組は自粛、身の回りに不安はなかったけど、被災地の様子を見て何とも言葉に変えられない気持ちになっていた。

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翌日は近所のスーパーではほとんどの商品が売り切れ。普段そんなに買わないでしょ?って突っ込みたくなるような缶詰を手あたり次第買い占める人の姿もあり。

更にその翌日からは開店前から長蛇の列。娘がパンが好きだったため行ったらそんな状況で、その日は買わずに帰った。

そんな状況であったため、被災地でもなかった東京には物資が足りず、地方の親族からお米やお水を送ってもらうという話も多く聞いた。

特にお水は放射能が懸念され、水道水の利用も懸念されたしね。

私の元にも地方の友人から水が必要なら送ると連絡が入ったなー。

ありがたい事。

遠くに住んでいてなかなか会えなくても、思い出して心配してくれる。

助け合いが必要なときに助け合える。

持つべきものは友達とはこの事、気持ちに感謝した。

助け合える人々の美しさを感じながら、ただひたすら時が過ぎる事を待つしか私には出来なかった。

今思えば、もう少し何か出来たんじゃないかなって思うけど、あの時の私は幼い娘とお腹の息子と共に、自分達なりに必死だったかな。

近くのハイパーレスキュー隊が出動する姿に尊敬をし、手を振る娘と共に「頑張れー」と言った。

被災地でもない都会にてしばらく続いた食料の買い占めに憤りを感じながらも

まずは自分の身は自分で守る、という自己防衛も時には必要、それがあのときだったのかも知れないとも、今となっては思う。

10年経った今の時代は、自分を大事にする事が重要な時代。

自分いじめはダメ。

自分のSOSに耳を傾けて、尚且つ人に頼る事も知る必要がある時代。

あのときの経験は、被災地以外の人は忘れてしまう瞬間はどうしてもあるだろう。

毎日みんな忙しいからね。

その忙しい人々のお陰で社会や経済が動いて、復興にも何かしら繋がっていると思うから。忙しく働く人々にも感謝しないといけないね。

そんな忙しい人々も、10年前のそれぞれの記憶、経験を忘れ去ってしまう事はない。

まだまだ傷も癒えず、まだまだ元通りの生活が出来ずにいる被災地の方々もいる。

まだまだ復興支援をしている方々もいる。

思いを胸に夢を叶えて希望を与える人もいる。

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ここ一年は感染症の影響で、日本全国、全世界が恐怖に怯えて来た。

予防は出来るし、予期せぬ天災と比べるなんてとても出来ないけど

みんなで力を合わせて乗り越えよう

みんなで助け合おう

そんな思いに関しては同じだなーと。

小さな事でクヨクヨしたりしている場合じゃないね。今を生きる、今を楽しむ、今の幸せをじっくり感じる事で、気持ちが豊かになれる。

被災地の皆さんから学んだ事は沢山あるけど

笑っていられないはずなのに笑顔。

辛いはずなのに前向き。

何でもない私に足りない事。本当に、私が学ぶべき姿がある。

10年経ち、私もその間色々あったけど。

本当の意味で優しくて強い人間として、世の中に役立つ行動をして行きたいと思うようになった。

10年を振り返って、必死でいたつもりの子育ても後悔ばかりだったり、自分の内外面共に磨けず、しっかりしろよって思う。

だからこそ、そんな自分を力一杯愛して、家族と沢山話をして、みんなで様々な事を考えて行きたいと思う。

高価な買い物だけが贅沢ではなく、普通の生活が何よりの贅沢。忘れがちな普通を大事にしながら、もっと世の中を見て行こうと思う。

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